小学生世界一周日記〜ボクたちは今世界一周中!〜
2006年4/10〜翌07年3/30 家族4人で世界一周、4人総費用500万円。当時たか10歳ひか8歳パパ47歳ママ41歳。米→中南米→アフリカ→中東アジア。左下カテゴリーが訪問国別!自らのガンと子育てから学んだアレコレの3本柱♪


プロフィール

たかひかぱぱまま

Author:たかひかぱぱまま

↑「地方出版文化奨励賞」受賞!


[それゆけ小学生!ボクらの
世界一周]石風社より、234頁
写真沢山、旅行記オ〜ルカラー、
小学生から楽しめる総ルビで
す!旅行者が多くない中南米
とアフリカ中心で、子どもの目
線なので、大人が読んでもへ
えー!フムフム!と面白いと
思います。1890円(税込)


♪本の購入こちらからできます。
アマゾンが在庫がよくなくなるので
、その時は、ビーケーワンなどで!

<アマゾン>
<ビーケーワン・bk1>
<楽天ブックス>
直接久米へメール

※プレゼントにいかがでしょ
うか?佐川のメール便にて。
送料無料です!!
直接久米へメール
メッセージカードをいれ
ラッピングします!


●帯の絵は次男ひかる。文章
は長男たかゆきの旅日記がモ
ト。出会いに感謝!本屋さん・
ネットにて好評販売中!!

★1分でわかる世界一周CM。ぜひクリックしてネ!


♪本のこだわり♪
こだわり(1)
本の中身(旅行記)カラーです
こだわり(2)
小学生からよめるふりがな入り!
こだわり(3)
紙がツルツルで写真がキレイです!
こだわり(4)
写真と文章を極力一体化。読みやすい!
こだわり(5)
子どもの目線がきっと新鮮?です!
こだわり(6)
一緒に世界一周モードになります!
こだわり(7)
子どもの目線なので、旅をしない人
にも楽しめます!


■久米美都子(お母さん)
連絡先:080-6434-3795
直接メールはこちら!
Fax: 092-751-8722(TEL兼)

■”メルマガ”発行中です。
「女ひとり世界一周&子連れバックパッカー
放浪記」でうら話、子連れバックパッカー、
女1人旅などをご紹介!
登録はこちら

◆出版社は、アフガニスタン支援の
中村哲医師の本を多く出版している
「石風社」さんです。 こちら!
本屋さんになければ直接私がお送りし
ますよ!プレゼントにも対応(メッセー
ジカード付きでラッピングします)

◆本とは別に、小学生向け、
世界一周
紙芝居(手作り)

を広めています。写真
が大きくて、迫力あります。子どもたち
に読み聞かせしてくれる先生、お母さん
お父さん、ぜひ読んでもらえませんか?
その旨メールください



●このブログは、家族で世界一周、
2006年4月出発、ぶじ、2007年3月
末、帰国。長男たか10歳(小5)
→11歳、次男ひか8歳(小3)→9歳、
パパ48歳、ママ42歳。子供達は、
学校の理解をいただいて1年お休み、
パパママは、自営の経営コンサル業
を休眠。人生は一度!念願の世界一
周した記録です。帰国後もいろいろ
あります。感謝!グラシアス!
オブリガード!サンキュー!

●お母さん(久米美都子)元祖HP
(1994年に行った女1人世界一周&
子連れバックパッカーの記録等)
または「女ひとりの世界一周」検索
でも一発で出ます。

●世界一周中、世界から日本に送った
ライブ版エッセイ
「家族で世界一周旅便り」
こちら!よろしくです!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ



2009年夏♪ヨルダン報告(7)ラマダンのつらさ
2009年夏♪ヨルダン報告(7)ラマダンのつらさ


さて、ヨルダン旅は、日記形式ではなく、事柄別に分けて、難民支援、ペトラ、死海、
アンマン、安宿コーダホテル、ラマダン・・・、という感じで、つづっていこうと思います。

(1)ヨルダンへの長い道のり
(2)と(3)は、私が一番感動した、この難民支援の現場。↓

  (社団法人 日本国際民間協力会NICCO
   http://www.kyoto-nicco.org/project/jordan/cat64/post.html)
(4)灼熱のペトラ、の攻略?法
(5)子どもと絶景inペトラ
(6)コーダホテル

   ※絶景写真は、ブログで見てね〜! http://kumemuga.blog60.fc2.com/

で、今回(7)。


さて、ヨルダンで今回生まれて初めての”ラマダン”(イスラムの断食月)に
あたりました!

旅の後半、ペトラ遺跡から首都のアンマンに戻ってきた翌日から3日間。

ラマダンというのは、約1か月間、日の出から日没までのあいだ、飲食を絶つ
ことという、イスラム教徒の義務の一つ。

時期は、毎年11日ほど早まり、およそ33年で季節が一巡するらしいのですが、
今年は、8月22日からだったわけです。

8月ですから、季節は真夏、ヨルダンも、ものすごく暑いです。

日本と同じぐらいだろう、と思っていたのですが、気温は、思ったよりヨルダン
の方が高く、でも、乾燥しているので、昼間がチリチリあついけど、朝夕は、す
ーっと、過ごしやすくなる、そんな感じでしたね・・。

だから、食事抜きはともかく、水も飲めない、というのは、まさに、つらい修行
だと思うんです。

夏のラマダンは特に、ですね・・。

それも、1か月間も、ですからね〜

そして、多くの人々がそれを守っていますからね〜、ホント、すごい精神力・・
私たち日本人には、なかなかできることではない気がします。


というわけで、ラマダン入り・・・

うっそー、というぐらい、店が開きませんでした。飲食しないんだから、飲食店
は開かないことは予想していましたが、ちょっとした商店・・水や、ジュースや
お菓子類などの小さなお店が、クローズで、夜になっても開かないところも多か
ったですね・・・。

おそらく、私たちが泊まった宿があるのは下町、ダウンタウンなんで、個人商店
が多いからなんでしょう。

新市街の方に行けば、大型スーパーとか、ちゃんと開いているそうです。

水、買っとくべきでした・・・・と後悔しましたね〜。

まあ、水も、ちょい高めをガマンすれば、売ってるところはあります。

とにかく、現地系の食堂はぜんぶクローズ。

もちろん、日没後は、全部ではないけど、現地の飲食店、開きます。

太陽が出ている間は、外国人も何も食べれないの?と心配されるでしょうが、外
国人向けの、ファーストフードや、中華料理やなど、開いてるところはあります。

なので、なんとか、なります。

でも、夏のラマダンのタイヘンさは・・・・

やはり、水分がとれないことに限ると思うんです。

そのイライラは、まず、運転に出ます・・。

ヨルダンの人々は、基本的に温厚なので、クラクションはそう多く鳴らさないの
ですが・・・

ヨルダンになったとたん、クラクションだらけ!!

人が変わったように、短気? 言い合いやケンカも増えるんだそうです。

ちょっと、コワイ(?)

みんな修行に耐えながら、しかしながら、仕事は普通どおりするわけですから・・
ものすごい、たいへんなことだと思います。

もちろん、ラマダンになって、帰国するまで3日間、ずっと閉まっていた店も
あったのですが、あれは、全く、仕事やめてるんですかね?

普通に歩いていても、何にもしなくても、カラッカラ、パリパリにに乾燥して
いますからね〜

外で、自分たちが持参した水を飲む時にも、悪いな〜と思っちゃいます。

でも、耐えられないから、飲みますけど。

そんな苦しい昼間があって、日没になると、うそのように車がいなくなります。

みーーんな、おうちで、1日分、食べているんですね。

まさに、試練です。

そんな中、死海に行きました。ラマダン中で、気が荒くなっている?タクシーを
5人でチャーターして・・・次回はその話。

(ヨルダン旅行記はつづく)



インド ウツ病ショック療法?記 (16)「コドモ つぶされそうになる!」
本には書かなかった世界一周ウラ話(86)♪〜テーマ別〜
   インド ウツ病ショック療法?記 (16)「コドモ つぶされそうになる!」
     


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、
人生を変えた旅全9話、など)を、つづっています。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  カテゴリー別に入れています)

で、今は、ウツ病を克服しよう?とインドに行ったときの話。


私がウツでたくさんの薬にお世話になっていたのは、2003年6月から
2005年3月。

その真っ只中の2004年1月、インドに行ってるんですよ。変わっている
でしょ(笑)?。

もちろん、子連れ。当時長男は小2、次男は年長さん。

ウツで苦しみながら、抗ウツ剤その他を飲みながらも、カルチャーショック
で、ウツを吹き飛ばしたいと?旅したインド・・。という背景。

さあ、ウツ病とインド、どうなりますか?????



というわけで、

第一話「真夜中のインド到着」

第二話「ゴミ山の前の安宿”ホワイトパレス”からサダルの安宿”
                         マリアハウス”へ」
第三話「ドミですっごい偶然!」

第四話「子連れはボランティアお断り!?」

第五話「障害児の施設 ダヤダン」

第六話「ダヤダンの子供たちに寄り添いながら・・・」

第七話「友人フロスカムをどうやって探す?」

第八話「バラナシ”歯赤”客引きとの闘い?」

第九話、「プジャゲストハウスは一体どこ?」

第十話、「急激に、やる気ダウン・・・」

第11話「行動すれば次の現実・・」

第12話「フロスカムとの奇跡の再会」

第13話「インド鉄道、5時間遅れは序の口」

第14話は「うんこ踏むなよっ!」

第15話は「一体、列車はいつ来るんだ!?」

そして今回第16回は「コドモ つぶされそうになる!」




 遅れることで有名な?インド国鉄の復路の話。

最初、6時間遅れの22時40分発だと聞いて、がーーーん!としていたら、

 列車到着の唯一の手がかりである電光掲示板が消え、走り書きのよーな小さな
黒板だけになり、

もちろん文字はヒンズー語のみで、わけわからんくなり、不安でしょうがなくな
り・・・、その黒板によると、当初の6時間遅れから、更に遅れて7時間半遅れ
になったもよう。

これで本当に列車は来るんだろうか・・という疑い?の気持ちも芽生え、

あーとにかく、これ以上遅れんで来てくれー、と祈るのみ。

 
 駅構内はどんどん人が増え、どこもかしこも毛布をかぶって寝てる人がゴロゴ
ロ。

インド人には慣れっこなことなんでしょうねー。黒板には、遅れている列車名が
びっしりなんで・・・。
 
 で、真夜中、24時近く。

黒板は7時間半遅れのまま、書きなおされてはいないことを確認し、寝せていた
子供達を起こし、寝起きに風邪ひかれちゃいかん、と、ポカロンを2コづつ貼って、
毛布を巻いて、黒板に明記されていたプラットホームに出ました。
 

 さて、何か列車が停まっています。

これはコルカタ行きか?と周りの人に聞くと、いや、違う、との返事。

ここにコルカタ行きが来るか?、と聞くと、

あそこ(駅事務室のようなところ)で聞いてみるといい、と言われ、聞きにいく。

事務室には、数人の人がいて、一応?パソコンらしきものの前に座っている人が
いたので、訊ねました。

 すると・・・

もうじき来るだろうよ、と。

もうじきって何時? と聞くと、

何時かはわからないよ、と。

じゃあ、6番ホームで待っとけばいいの? と聞くと、

もともとは6番ホームだったが、それもわかんないよ、という。

要するに、時間もホームも定かでない。吹きさらしのホームで、アナウンスを聞く
しかないんだと。

雑音たっぷり大音量アナウンスは、確かに英語でもあっているよう。

しかし、アナウンスがあって、ホームが違って、走って階段登って降りて、間に
合うのか・・・?


 こういう時、子連れは、気が重い・・。私も神経質にならざるをえない。

まだ次男は5歳ですからね〜


 
 そんな不安と寒さの中、いろんなインド人との出会いがありましたよ。

 
 何度も黒板の前で、ヒンズー語の文字をじーーーっと見つめていた私に、

「メイ アイ ヘルプ ユー」と声をかけてくれた人。

彼は、黒板のビンズー語の表示を、丁寧に、英語で説明してくれました。


 真夜中のホームで、待てども待てども来ない列車を待っている間、子供達と遊
んでくれたインド青年の2人組もいましたね〜、本当にありがたかった・・。

 「く」の字に体が曲がった物乞い。

待ち時間が長いだけに、繁盛してるチャイ屋やサモサ屋などの屋台のオッサンた
ち。

女性専用なのに何故か男性が居座っていた待合室の面々。

 ヒマなので、だれか話し相手はいないものかと、あちこちウロウロしては日本
人を探しましたが、いませんでしたね。

 意外だったのは、韓国人が多いこと。

日本人かと間違えて声をかけたりも・・。

いく人かの韓国人と話をかわし、見送り、私はただひたすら待ったのでありました。


 そして、結局9時間遅れ・・・夜中の1時半、やっとやっと列車が来たのです。


 喜んでほっとしたのもつかの間・・・

さて、インドの列車はとても沢山連結していて、しかも車両どうし行き来できない
ために、自分が乗る2等寝台をすばやく探さないといけないんです。

で、車両を探すのが一苦労。

 で、乗ったはいいが、もう、スゴイどんどん乗ってくるんで、おしくらまんじ
ゅう状態に。

「おかーさん つぶれるーよお!」

「がんばり!ふんばるって!」

そんな必死のとき、なんと、車両が違うらしいことが発覚。

この車両が7で、私たちの乗るべき車両は6。

隣なのに、って思うでしょ・・。

隣にも、行けないんです。一旦降りなければ・・・

しかし、今度は降りれない。降りさせてくれない。

他にも、間違えて乗った外国人がいて、彼らと協力しあって、これでもかー!っ
と根性出して、降りて、隣の車両を見ると、そこはただの2等。

何いー! 

車両は順番に並んでいない!

いったい、車両6がどこに?!


(まだまだインドはつづく)


近況:またプリンタ壊れ・・・無線プリンタを
近況:またプリンタ壊れ・・・無線プリンタを

買いました・・・。

実は、テレビCM(カラリオ!っていう竹内結子の)見てて、

ああ、なんてスバラシイ!

と感動していた無線のやつ。ノートパソコン使っている人には、ほんと、便利
ですよね〜

だって、つながなくても、プリントできるんですよ〜

いいじゃないですか〜

というわけで買ったのですが・・・・・


苦労しました・・・無線設定をするのに・・・・

もちろん、私が無知なせいですが・・・

プリンタ買ったのが、10月30日。自分で説明書を読んでやったけど、できず。

31日に、朝からエプソンに電話して、電話で教えてもらいながら、一緒に設定
、が、3時間かかっても、なぜかできず。

エプソンの人も、これ以上は、わからない、といわれ、

パソコンとプリンタを直接無線でつなぐのは断念。

モヤモヤしたまんま、11月1日、終日、長男のサッカー試合引率へ。

2日、一番安いルーターを買ってきて、パソコンールーターープリンタ、という
設定をすることに。

買ってきて、また、自分でやったが、できない・・・。

3日、次男の小学校で午前中学芸会で学校へ行き、午後から、サッカーの試合へ
連れて行き、

4日、朝一番に、エプソンに電話。しかし、今度は、その前に、パソコンールーター
が無線で接続できない。で、ルーター(NEC)に電話。

31日に、エプソンでつなぐためにいろいろ設定を変えたためで、それを戻さないと
いけないと。

エプソンに電話して元に戻して、NECに電話して、またエプソンに電話して・・・

で・・・やっと、やっと、設定ができました。離れたところに置いたプリンタが、
サクサクと動いたとき、、、、、、、

ああ、めっちゃ、感動しました〜

やっと、こころがはれました〜

しっかし、直接無線接続できないことがあるなんて・・こんなに、ややこしい
ものだなんて・・・もー!って感じですよね〜

でも、便利ですよ!


さあ、やるべきこと、たくさんたまってしまいました!

がんばらねば・・・



2009年夏♪ヨルダン報告(6)コーダホテル
2009年夏♪ヨルダン報告(6)コーダホテル
koda

mansuruコーダホテル入り口



さて、前回は、アンマンにつくまでの長い道のり、の話を書きましたが、この
ヨルダン旅は、日記形式ではなく、事柄別に分けて、難民支援、ペトラ、死海、
アンマン、安宿コーダホテル、ラマダン・・・、

という感じで、つづっていこうと思います。
(1)ヨルダンへの長い道のり
(2)と(3)は、私が一番感動した、この難民支援の現場。↓

  (社団法人 日本国際民間協力会NICCO
   http://www.kyoto-nicco.org/project/jordan/cat64/post.html)
(4)灼熱のペトラ、の攻略?法
(5)子どもと絶景inペトラ

で今回は、(6)コーダホテル

   ※絶景写真は、ブログで見てね〜! http://kumemuga.blog60.fc2.com/


さて、今回は宿の話。

首都のアンマンでは、コーダホテルという宿に泊まりました。

コーダホテルというのは通称で、本名は、マンスールホテル。

じゃあ、なんだ、通称がついているかというと、

ふかーーーいワケがあるんです。


コーダホテルの”コーダ”は、”香田”。イラクで殺された香田さんの名前を
とっているんです。

みなさんは、香田さんのこと、覚えていますか?

このヨルダンから、どうしてもイラクの今を見たいと、イラクに行き、拉致され、
殺されてしまった人です。

当時は、メディアにも新聞にもネットにも、かなり出ました。

すごくすごく・・・悲しい事件です。



アンマンには、今も当時も有名な安宿クリフホテルという宿があるのですが、

そこには、日本人びいきのヨルダン人サーメルというホテルマンが働いていました。

サーメルのホテルマンとしてもおもてなしや、人間の良さは、かなり前から、と
にかく有名で、私はこの人に会いたいと思って、ネットで調べたんです。

そして、知ったこと、それが”コーダホテル”。

当時、殺された香田さんは、このクリフホテルに泊まっていて、サーメルが、
イラクに今行ってはいけない、と一生懸命に止めたんです。

でも、香田さんは、イラクに行ってしまった・・

サーメルが、責任を感じたことは言うまでもありません。

絶対、何がなんでも・・止めるべきだった、と。

サーメルにとっては、一生忘れることができない、ことなんですね。

そして、一生忘れてほしくない、こと。

だから、彼は、コーダホテルを作ろう、と思ったんです。

しかし、彼は、ごく普通のホテルマンで、そんなお金はない。

そんなとき、そのサーメルの気持ちを汲んだのか、マンスールホテルが
通称コーダホテルとしていい、となったのか、

今では、知る人ぞ知る、日本人が集まる宿になっています。

安宿としても、安くてまあ清潔で、居心地いいので、韓国人や、ヨーロッパ
人もたくさん泊まっています。

さて、サーメルはどこに?

サーメルは、今年2月、日本人女性を結婚して、6月?ぐらいにやっと日本に
入れるビザがおりて、今日本にいるそうです。

いつか本当のコーダホテルをつくるためにがんばっているんでしょう。


というわけで、サーメルには会えませんでしたが・・・・

コーダホテルには、とってもいい人、ロアイがいます。
roaihika ロアイがラーメン食べる光の”はし”使い見て、「おしえて!」と言っているところ。
sayonararoaiほんと、いい人です!


「モンダイナイ〜」

が口癖の、英語ペラペラで、とっても親切な、楽しい、ヨルダン人。

でも、ホテル、変わるっていってたなあ・・・

mansuheya部屋1泊12ヨルダンディナール(約1600円)
mansuribiみんなが集うリビング
mansuminnaみんなで記念写真
mansunoto情報ノートあり!ペトラへ庶民バスでいくルートも書かれてる!有難い!



  

インド ウツ病ショック療法?記 (15)「一体、列車はいつ来るんだ!?」
本には書かなかった世界一周ウラ話(85)♪〜テーマ別〜
   インド ウツ病ショック療法?記 (15)「一体、列車はいつ来るんだ!?」
     


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、
人生を変えた旅全9話、など)を、つづっています。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  カテゴリー別に入れています)

で、今は、ウツ病を克服しよう?とインドに行ったときの話。


私がウツでたくさんの薬にお世話になっていたのは、2003年6月から
2005年3月。

その真っ只中の2004年1月、インドに行ってるんですよ。変わっている
でしょ(笑)?。

もちろん、子連れ。当時長男は小2、次男は年長さん。

ウツで苦しみながら、抗ウツ剤その他を飲みながらも、カルチャーショック
で、ウツを吹き飛ばしたいと?旅したインド・・。という背景。



というわけで、

第一話「真夜中のインド到着」

第二話「ゴミ山の前の安宿”ホワイトパレス”からサダルの安宿”
                         マリアハウス”へ」
第三話「ドミですっごい偶然!」

第四話「子連れはボランティアお断り!?」

第五話「障害児の施設 ダヤダン」

第六話「ダヤダンの子供たちに寄り添いながら・・・」

第七話「友人フロスカムをどうやって探す?」

第八話「バラナシ”歯赤”客引きとの闘い?」

第九話、「プジャゲストハウスは一体どこ?」

第十話、「急激に、やる気ダウン・・・」

第11話「行動すれば次の現実・・」

第12話「フロスカムとの奇跡の再会」

第13話「インド鉄道、5時間遅れは序の口」

第14話は「うんこ踏むなよっ!」

そして今回第15話は、「一体、列車はいつ来るんだ!?」




 遅れることで有名な?インド国鉄の復路の話。

最初、6時間遅れの22時40分発だと・・。

えええええーっ、6ジカン!

まあ、しかし、インドだからとあきらめてながら・・・次の展開。

「一体、列車はいつ来るんだ! 」

 さて、ボー然としている私に、駅に見送りに来てくれた再会をはたした
12年前の友人フロスカムが、
「6時間も遅れてるんだねー」と。

そして、
「あそこにツーリストオフィスがあるから、相談したらいいよ」と教えてくれ
ました。

 そう言われて、ツーリストオフィスのおじさんに切符を見せると、

「この列車は、22時40分発になった。コルカタ行きは他に18時すぎに出る
のがあることはあるが満席だ。一応、向こうの13番窓口に行って聞いてみると
いい」と。

 で、13番窓口に行くと、インド人がいっぱい並んでるー。

おそらく、私と同じ立場の人。一応並んでみたものの、長蛇の列は一向に前に進
まず、いつになったら窓口の人と話せるかわからない。駅構内は待ち人であふれ、
そこらへんじゅうの地べたは、座り込み人にどんどん占領されていくます。他の
列車も遅れているようです。


 こうして順番を待ちに待って、窓口と話せたにしても、寝台があいてる可能性
は、ツーリストオフィスのおじさんが言ってたように、少ないわけです。

私ひとりなら、どこに座っても耐えられる?と思うけど、子供達はそーはいきません。
なんていっても、小2と年長さんですから・・・
 
 私は深呼吸して、考えました。

今ここで、取れる可能性が少ない座席のために並ぶより、22時40分に乗るために
備えて、子供達を休ませた方がいいのではないかと。

 そして、待とう、私は決めました。

 2人子連れ旅の一番大変なことは、2人そろって眠たくなって動かなく?なられ
ること。

特に今日は、朝からフロスカム探しして、会えて盛り上がって?、フロスカムの子
供達といっぱい遊んだ後で、おそらく夜9時まではもたないと思ったわけです。


 じゃあ、どうするか・・。
 今、とにかく、寝せよう!
 どこで?

 たくさんのインド人と同じよーに、そこらへんの地べたで寝袋ひいて寝せるこ
とも考えましたが、それだと寒くて眠れないだろうから、駅の中にあるリタ
イアリングルームと呼ばれる簡易宿泊所に行ってみることにしました。

 ドミトリー 2ベッド100ルピー(240円)。

 入ってみると、誰も客はおらず、静かで、かなり清潔でした。多少人の出入り
があって、うるさいこともありましたが、夜7時、子供達はやっと就寝。

 よし、よし、3時間寝れば大丈夫!と一安心。
 で、ここまではよかったのですが・・。

 その7時すぎのこと、

出発時刻やホーム番号が印された電光掲示板の灯が・・・ブチッと消えちゃったん
です。

ツーリストオフィスも閉まってしまい、掲示板は消えたまま。

唯一の出発情報なのに・・。

ちょっとした停電かな・・。と、ちょこちょこ見に行くけれど、全くつかぬまま。
 
 すると、掲示板の横に小さな黒板が出ていて、そこに人がわんさと集まってい
ました。

行ってみると、列車の遅れ状況が書かれているもよう。

小さな黒板にびっしり書き込まれています。

こんなにたくさんの列車が遅れてるんだーと思いながら、自分の列車を探しました。

文字はビンズー語なので読めないけど、番号からすると、これかな?と思う列車に
は、6と2分の1という数字。6時間半という意味なんでしょう。

ということは、さらに30分遅れています。

 
 しばらく経って、また見ると、さらに遅れたらしく、7と2分の1。

うーん、
これじゃ、24時10分、日がかわってしまうことになります。

それに、日没後ぐんぐん寒くなってきています。

バラナシはコルカタより寒く、寝起きに風邪ひきそうですよねー。

あーあ、それにしても、列車は何時に来るのやら・・・。

まあ、子どもたちは寝せているから、よしとしなきゃね・・・

それにしても、ヒマ・・・

(まだまだ遅れますよ、ははは)

(まだまだインドはつづく)





FC2ブログ