小学生世界一周日記~ボクたちは今世界一周中!~
2006年4/10~翌07年3/30 家族4人で世界一周、4人総費用500万円。当時たか10歳ひか8歳パパ47歳ママ41歳。米→中南米→アフリカ→中東アジア。左下カテゴリーが訪問国別!自らのガンと子育てから学んだアレコレの3本柱♪


プロフィール

たかひかぱぱまま

Author:たかひかぱぱまま

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●このブログは、家族で世界一周、
2006年4月出発、ぶじ、2007年3月
末、帰国。長男たか10歳(小5)
→11歳、次男ひか8歳(小3)→9歳、
パパ48歳、ママ42歳。子供達は、
学校の理解をいただいて1年お休み、
パパママは、自営の経営コンサル業
を休眠。人生は一度!念願の世界一
周した記録です。帰国後もいろいろ
あります。感謝!グラシアス!
オブリガード!サンキュー!

●お母さん(久米美都子)元祖HP
(1994年に行った女1人世界一周&
子連れバックパッカーの記録等)
または「女ひとりの世界一周」検索
でも一発で出ます。

●世界一周中、世界から日本に送った
ライブ版エッセイ
「家族で世界一周旅便り」
こちら!よろしくです!



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国際支援の現場へ(6)インドのコルカタ、マザーハウス!(2)ボランティアの時間
本には書かなかった世界一周ウラ話(116)
       ♪テーマ別~国際支援の現場へ(6)
         ~インドのコルカタ、マザーハウス!(2)ボランティアの時間


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、人生を
変えた旅全9話、インド ウツ病ショック療法?記全22話、子連れマニラ全9回
、子連れベトナム全3回、子連れ韓国3回、子連れタイ4回など)を、つづって
います。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  ページ左下の方の、カテゴリー別に入れています)

前回から、国際支援の現場へ
(1)きっかけは、ケーコさんと、物乞いからのありがとう
(2)ベトナム フエの「子どもの家」
(3)難民支援のデイジーさんを訪ねて~
(4)「木浦(モッポ)共生園」の話。
(5)インドのコルカタ、マザーハウス!vol.1 子連れでボランティアへ


今回は、インドのコルカタ、マザーハウス!(2)


子連れではムリといわれてしまうのですが・・・

朝のミサのあとの、ボランティアたちが集まる朝食の場で、出会った人と
一緒に、直接施設に行ってみました。それでダメなら仕方ないと。

でも、逆に、大歓迎!

まあ、小さなボランティアさんね~!!と受け入れてもらえました。

基本的には、やはり、病気の問題などがあり、ボランティアは大人ってこと
でしょう。

私たちが行ったところは、ダヤダンという施設で、小学生かそれ以下の子供たちで
体が不自由な子、知的障害がある子、そして、親がいない子の施設です。

歯磨きから始まって、トイレの介助、ティータイム、洗濯、いろんな遊び、
昼食、昼寝までが、午前中の仕事。

時間的には、

5:50 ~ 6:50  ミサ (マザーハウス2階にて)(自由に出ることができます)

7:00 朝食 (マザーハウス1階にて)
           (ここに世界各地のボランティアが集まり、情報を得たり、どこの
            施設に行くか決めたり、一緒に行く人を探したり、)

7:30 各施設ヘ移動

8:00 午前のボランティア活動開始

10:00 ティ-タイム

12:00 午前のボランティア活動終了

12:00 ~ 15:00 正午から15:00までは全施設訪問禁止です

15:00 午後のボランティア活動開始


ボランティアは半日からできます。
たいていどこの施設でも、長い人がいたり、リーダーシップとる人がいて、まあ、それに
従い、手伝いする、って感じですね。

便利なものはありませんから、汚れ物の洗濯など、かなりの重労働になります。

そして、日本人はもちろん、世界中の人が来ています。

こんなにもたくさん!!と驚くほどです。

そして、こんなにもたくさんのボランティアを自然に受け入れている、なんというか、
スゴさ・・あったかさ・・、を感じます。

人間って、いいな・・と思えます。


(つづく)
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テーマ別~国際支援の現場へ(5)~インドのコルカタ、マザーハウス!(1)~
本には書かなかった世界一周ウラ話(115)
       ♪テーマ別~国際支援の現場へ(5)
         ~インドのコルカタ、マザーハウス!(1)~


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、人生を
変えた旅全9話、インド ウツ病ショック療法?記全22話、子連れマニラ全9回
、子連れベトナム全3回、子連れ韓国3回、子連れタイ4回など)を、つづって
います。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  ページ左下の方の、カテゴリー別に入れています)

前回から、国際支援の現場へ
(1)きっかけは、ケーコさんと、物乞いからのありがとう
(2)ベトナム フエの「子どもの家」
(3)難民支援のデイジーさんを訪ねて~
(4)「木浦(モッポ)共生園」の話。


今回は、インドのコルカタ、マザーハウス!(1)


子連れで行ったらどんなにかタイヘンで、でも面白いはず、と思ったのは、インドですね~

私がインドにひとりで行ったのは、1992年。

本当に、めちゃめちゃ、ミソも○○もいっしょ、というカルチャーショックで、翻弄され
っぱなしでした。

とにかく、ひとり旅なのに、ひとりにしてくれ~!ひとりになりたい!と叫びたくなるほ
ど、にぎやかというか、人がたかってくる(笑)というか・・・。

目的地にこれほどすんなり行けない国はなかろうもん、とも思いましたね。

そんな国に、小さな子供をふたりも連れて行こうものなら、どうなるのかなあと、
心配4割、きっと、面白いはず6割、と思っていきましたね。

実際は、心配は1割、9割はおもしろくてたまらなかったです。

そんなインドで、マザーハウスで、子連れボランティアしたいと思ったわけです。

事前にネットで、たくさん調べました。

まず、だれでもボランティアできること、
ボランティアは最短で、半日からできること
特別な、資格などはいらないこと
ボランティアするにはどこに行けばいいか
だれに言えばいいか
ボランティアの仕事
さまざまな施設の内容
・・・・

といろいろ情報は得られるのですが、子連れはどうか?なんていうのは、ありません
でしたね。

ぶっつけ本番なわけです。

でもきっと、どうにかなるだろうと思っていました。

ボランティアが必要な施設は、いろいろあって、有名なのが”死を待つ人の家”ですが、
ほかにもいろいろあります。孤児の赤ちゃんたちの施設や、孤児で、障害がある小学生
ぐらいの子供の施設など。

どうにかなるだろうと簡単に思っていましたが、

行って見ると、子連れは、ムリと言われてしまうのです。

(つづく)


テーマ別~国際支援の現場へ(4)~韓国南海岸、木浦(モッポ)共生園へ~
本には書かなかった世界一周ウラ話(114)
       ♪テーマ別~国際支援の現場へ(4)
         ~韓国南海岸、木浦(モッポ)共生園へ~


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いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、人生を
変えた旅全9話、インド ウツ病ショック療法?記全22話、子連れマニラ全9回
、子連れベトナム全3回、子連れ韓国3回、子連れタイ4回など)を、つづって
います。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  ページ左下の方の、カテゴリー別に入れています)

前回から、国際支援の現場へ
(1)きっかけは、ケーコさんと、物乞いからのありがとう
(2)ベトナム フエの「子どもの家」
(3)難民支援のデイジーさんを訪ねて~


今回は、長男が小2、次男が年長のころ行った、韓国の南海岸、木浦(モッポ)
という町にある、「木浦(モッポ)共生園」の話。


●モッポ共生園とは・・・

木浦共生園は韓国南西部の木浦(モッポ)市にある児童養護施設。
1928年(日帝時代)韓国人牧師の尹致浩(ユンチホ)さんによって設立。

1938年に尹牧師は日本人女性の田内千鶴子さんと結婚。

1945年に日本が敗戦して日帝時代が終わりますが、その後韓国はさらに
悲惨な朝鮮戦争がはじまり、激動の時代を迎えます。

千鶴子さんは悲惨な韓国内戦の中、夫を失って大変な苦労の多い時代をむか
えますが、そんな時代にも日本に帰らず共生園にとどまり、女手一つで一貫
して孤児たちを守り続けたのです。

千鶴子さんは1963年には韓国文化勲章を受章、

1968年に千鶴子さんが亡くなった時には木浦駅前に3万人の参列者が集
まって市民葬が行われたそうです。

千鶴子さんが亡くなってからも千鶴子さんの意志は息子さんの基さん、そし
て現在はお孫さんの緑さんに引き継がれています。

現在は名称が社会福祉法人・共生福祉財団となって職業訓練校や救護施設、
障害者施設などの事業をしています。

1989年には大阪で在日韓国人の老人ホーム「故郷の家」をはじめ、日本
でも社会福祉法人・こころの家族としてデイサービスなどの事業を展開して
います。

で、その生き様が、「愛の黙示録」という日刊共同制作映画になっているの
です。

すごい、と思いませんか?田内千鶴子さん。ものすごい困難の上にある、この
モッポ共生園なんですね。

愛に国境はないんですよね!



今では、時代が変わり・・施設には、戦争孤児ではなく、日本が抱える問題
と同じく、虐待児童や、事情で家族と暮らせない子ども達が、ここで生活し
ているということでした。

そんな施設の子供たちと一緒にあそばせてもらいました。

風船、折り紙、ゴムとび・・・

幼いこのころだからこそ、言葉でないコミュニケーションで、一緒に遊ぶん
です。なかなか、楽しいし、勉強になるんですね~



国際支援の現場へ(3)難民支援のデイジーさんを訪ねて~
国際支援の現場へ
(3)難民支援のデイジーさんを訪ねて~


2002年1月、タイ。

バンコクからバスを乗り継いで約6時間の、ミャンマーとの国境サンクラブリーと
いう町を目指しました。

子供たちは、6歳3歳。

サンクラブリには、ミャンマー難民・避難民に対し、食料や教育の支援をしている
グループがあり、その代表の女性、デイジーさんを訪ねるためです。

デイジーさんを知ったのは、数ヶ月前。タイに行くなら、タイの田舎に行きたい、
何か国際支援の現場に訪問したい、とインターネットで調べていた時です。

<タイを個人旅行する方へー孤児たちに温かい衣服を!援助の届かないミャンマー
国内避難民>
というHPが私の目に止まりました。

読み進むと、”援助が届かない理由”が、さらに調べていくうちに、世界には2千
万人以上の難民がいて、その8割が女性と子供で、また難民への差別、強制追放の
不安、いろんな問題があることを知りました。

デイジーさん自身が、元難民なんです。

彼女自身、いろんな苦労しながら、タイ側の労働許可を取得し、労働し、自立して
いるわけですが、難民女性の自立を目指し、伝統の織物を織り、その織物で、衣服
や小物を作り、日本とフェアトレードしたり、また孤児を引き取って育てたり、国
内避難民に対して食料、衣服、医療、教育の支援を、長い年月しているわけです。

衣服は、この地域はこれから寒くためにミャンマー側の孤児院へ届けるというもの
でした。

私は、不思議なくらいピンときて、この人に逢いたい!と強く思ったのです。

子供服を送るのではなく、持っていこうと決めたのです。

さて、サンクラブリ村に着いて、デイジーさん探しの始まりです。
手がかりは、HP上にあった衣服の送り先だけでしたが、
たくさんの人のおかげで、無事、難民支援の代表デイジーさんの家にたどり着きました。



さて、難民、というのは、どんな人たちなのか、知っていますか?

難民とは・・・

(抜粋)

 難民とは、色々な事情によって故郷の国を離れざるを得なかった人のこと。
この事情というのはさまざまなのですが、特に地域紛争、民族・宗教の対立、極
度の貧困問題、環境の悪化などが大きな理由になっています。

人種、宗教、国籍、政治的意見、または特定の社会的集団に属することなどを
理由に、迫害を受けたり、その恐れがあるために、国籍国あるいは居住国から逃
れ、帰国できないあるいは帰国を望まない人、環境の悪化や武力紛争についての
事由も付け加えることができます。

 現在世界中で5000万人の難民が存在しています。

これはだいたい世界の人口の100人に1人が難民であることを表わしています。

(抜粋終わり)

そんなに・・・いるんですね。

そんなにも多くの人が、自分の国から迫害されたり、自分の国を捨てざるを得なかっ
たり、帰りたくても帰ることができない状況に立たされているのですね・・・。

それも、難民には、女性や子どもが多いのだそうです。


私は、言葉としては知っていましたが、本当はわかっていなかった、と思い知ら
されました。

サンクラブリには、そんな、民族のカレン人、モン人など迫害を逃れてやってきた
人たちが多く生活しているんです。

デイジーさんは、いろんな民族の人たちを分け隔てなく、支援をしています。

ミャンマー伝統の機織工場をつくり、機を織り、その布で、衣服やバッグや小物
などをつくり、販売し、日本ともフェアトレードのしくみをつくっています。

また、サンクラブリに来れない人たち(タイ側に入れない人たち)は、もっと、
深刻なんだそうです。
そんな国境のミャンマー側の人たち、国内避難民と呼ぶのですが、孤児の子供た
ちもたくさんいて、その支援もディジーさんはしているのです。

孤児を引き取っても育ててること・・・。


デイジーさんと出逢った事は、私に多くの影響をもたらしました。

そして、子ども達がいたおかげで、また、私がデイジーさんの子どもぐらいの年齢
で、孫たちが、我が家の子供たちと同じぐらいで、家族のように仲良くなり、
2度、3度の訪問につながっていきました。

最近、私が行ったことのある発展途上の国々が、はげしい民主化運動で、
ニュースに流れますが・・・

今日も、リビアが非常事態で、チェニジアに避難民が押し寄せていると・・。

ミャンマーもそのひとつ。そして、軍事政権がそれを暴力で封じ込めている。
いつの時代も、一番の被害者は、武器を持たない一般の人、特に子ども・・
であることが、胸が痛いことです。


国際支援の現場へ(2)~ベトナム フエの「子どもの家」~
本には書かなかった世界一周ウラ話(113)♪~テーマ別~
   国際支援の現場へ(2)~ベトナム フエの「子どもの家」~

fueho



本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、人生を
変えた旅全9話、インド ウツ病ショック療法?記全22話、子連れマニラ全9回
、子連れベトナム全3回、子連れ韓国3回、子連れタイ4回など)を、つづって
います。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  カテゴリー別に入れています)

前回から、国際支援の現場へ
(1)きっかけは、ケーコさんと物乞いからのありがとう



今回は、(2)ベトナム フエの「子どもの家」

ベトナムの「子どもの家」に出会ったのは、ベトナムを旅することを決めて、
ネットで情報を検索している時です。

南北長いベトナムの真ん中あたりにある、古都フエで、元小学校の先生であった
日本人が、単身、ベトナムに行き、ストリートチルドレン支援を始め、「子どもの
家」を作り、路上で暮らす子どもたちに生活の場を支援している、ということを
知ったのです。

小山さんという方ですが、先生の時代に、研修で、たまたまベトナムに行くことが
あって、そのときに、目にしたストリートチルドレンたちに、驚愕し、見て見ぬふ
りはできない、と、思ったのだそうです。

私はこの「子どもの家」を訪問させてもらいたい、そう思いました。

それで、ネットで、連絡をとり、私の子供たち(当時5歳2歳)と一緒に訪問を
させてください、と頼んだのです。

そんな矢先、小山さんの講演が、福岡であり、話を聞くことができ・・、

そして、小山さんが、この「子どもの家」ひとりのストリートチルドレンの子の話
を書いた本を、読み、ものすごく、感動しました。

これだ!と思いました。

私自身が、小さい子連れなので、その「子どもの家」の子供たちのお世話をするよ
うなボランティア的なことなど、何もできないので、ほんとを言えば、行っても
”役立たず・・・”なワケですが・・・

気持ちよく、訪問を、受け入れていただいたのです。

それでも、なんとか役に立ちたいと・・・
何か必要なものを、日本から、持って行きます、と言ったのですが、
「子どもの家の子供たちと、一緒に、遊んでくれるだけでいいですよ。」と
言ってもらいました。

というワケで実現したわけです。

子どもの家の子供たちは、訪問した私たち(私と子ども2人、私の友人3人)に、
人懐こく、歓迎してくれて、ピョンピョンと抱きついてくるんですね。

軽いし、

小さいんです。

ちょうど、当時長男が5歳だったので、それより1、2歳上かな、小学校1年生
ぐらいかな?と思っていたら、
なんと、10歳、12歳だと聞いて、とても、驚きました。

体の大きさはもちろんですが・・・

普通は、10歳12歳というと、小学5、6年ですよね。そのくらいになると、
親にも抱きつかない年齢です。

それなのに、抱きついてくる・・。

親しみの表れでもあるわけですが・・・

私は、取り戻してる、と感じました。

彼らは、この子どもの家に来るまで、路上で生活していたり、貧しくて親から虐待
されたり、労働をしなくてはならなかったわけです。当然、子どもらしく、甘えた
り、することはできなかった。

だから、今、取り戻してる・・今までの分も・・

みんなキラキラ輝いていました。笑顔がはじけていました。持ってきた、ゴムとびや
風船で、一緒にたくさんあそびました。

次男が、熱を出したときは、みんなで、保健室に寝かせてくれて、そのまま保健室で
、静かに遊んでくれました。

お昼ごはんの時間には、おかずが焼き魚だったのですが、なんと、ひとりの男の子が
魚の骨を取り除いてくれてから、白ごはんにのっけて、長男に渡し、一緒に並んで食
べていました。

この子どもの家にきてから、注がれたたくさんの愛情や安心が、また次の人への愛情
につながっている、とも思いました。




この「子どもの家」との出会いが、これからの、国際支援の現場訪問の出発点です。

今まで見てみぬふりしてきた私ですが、私にもできることは何かないだろうか、と
考え始めた転機でもあります。

子どもの家   http://www001.upp.so-net.ne.jp/jass/



(つづく)





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