小学生世界一周日記~ボクたちは今世界一周中!~
2006年4/10~翌07年3/30 家族4人で世界一周、4人総費用500万円。当時たか10歳ひか8歳パパ47歳ママ41歳。米→中南米→アフリカ→中東アジア。左下カテゴリーが訪問国別!自らのガンと子育てから学んだアレコレの3本柱♪


プロフィール

たかひかぱぱまま

Author:たかひかぱぱまま

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●このブログは、家族で世界一周、
2006年4月出発、ぶじ、2007年3月
末、帰国。長男たか10歳(小5)
→11歳、次男ひか8歳(小3)→9歳、
パパ48歳、ママ42歳。子供達は、
学校の理解をいただいて1年お休み、
パパママは、自営の経営コンサル業
を休眠。人生は一度!念願の世界一
周した記録です。帰国後もいろいろ
あります。感謝!グラシアス!
オブリガード!サンキュー!

●お母さん(久米美都子)元祖HP
(1994年に行った女1人世界一周&
子連れバックパッカーの記録等)
または「女ひとりの世界一周」検索
でも一発で出ます。

●世界一周中、世界から日本に送った
ライブ版エッセイ
「家族で世界一周旅便り」
こちら!よろしくです!



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2009年夏♪ヨルダン報告(6)コーダホテル
2009年夏♪ヨルダン報告(6)コーダホテル
koda

mansuruコーダホテル入り口



さて、前回は、アンマンにつくまでの長い道のり、の話を書きましたが、この
ヨルダン旅は、日記形式ではなく、事柄別に分けて、難民支援、ペトラ、死海、
アンマン、安宿コーダホテル、ラマダン・・・、

という感じで、つづっていこうと思います。
(1)ヨルダンへの長い道のり
(2)と(3)は、私が一番感動した、この難民支援の現場。↓

  (社団法人 日本国際民間協力会NICCO
   http://www.kyoto-nicco.org/project/jordan/cat64/post.html)
(4)灼熱のペトラ、の攻略?法
(5)子どもと絶景inペトラ

で今回は、(6)コーダホテル

   ※絶景写真は、ブログで見てね~! http://kumemuga.blog60.fc2.com/


さて、今回は宿の話。

首都のアンマンでは、コーダホテルという宿に泊まりました。

コーダホテルというのは通称で、本名は、マンスールホテル。

じゃあ、なんだ、通称がついているかというと、

ふかーーーいワケがあるんです。


コーダホテルの”コーダ”は、”香田”。イラクで殺された香田さんの名前を
とっているんです。

みなさんは、香田さんのこと、覚えていますか?

このヨルダンから、どうしてもイラクの今を見たいと、イラクに行き、拉致され、
殺されてしまった人です。

当時は、メディアにも新聞にもネットにも、かなり出ました。

すごくすごく・・・悲しい事件です。



アンマンには、今も当時も有名な安宿クリフホテルという宿があるのですが、

そこには、日本人びいきのヨルダン人サーメルというホテルマンが働いていました。

サーメルのホテルマンとしてもおもてなしや、人間の良さは、かなり前から、と
にかく有名で、私はこの人に会いたいと思って、ネットで調べたんです。

そして、知ったこと、それが”コーダホテル”。

当時、殺された香田さんは、このクリフホテルに泊まっていて、サーメルが、
イラクに今行ってはいけない、と一生懸命に止めたんです。

でも、香田さんは、イラクに行ってしまった・・

サーメルが、責任を感じたことは言うまでもありません。

絶対、何がなんでも・・止めるべきだった、と。

サーメルにとっては、一生忘れることができない、ことなんですね。

そして、一生忘れてほしくない、こと。

だから、彼は、コーダホテルを作ろう、と思ったんです。

しかし、彼は、ごく普通のホテルマンで、そんなお金はない。

そんなとき、そのサーメルの気持ちを汲んだのか、マンスールホテルが
通称コーダホテルとしていい、となったのか、

今では、知る人ぞ知る、日本人が集まる宿になっています。

安宿としても、安くてまあ清潔で、居心地いいので、韓国人や、ヨーロッパ
人もたくさん泊まっています。

さて、サーメルはどこに?

サーメルは、今年2月、日本人女性を結婚して、6月?ぐらいにやっと日本に
入れるビザがおりて、今日本にいるそうです。

いつか本当のコーダホテルをつくるためにがんばっているんでしょう。


というわけで、サーメルには会えませんでしたが・・・・

コーダホテルには、とってもいい人、ロアイがいます。
roaihika ロアイがラーメン食べる光の”はし”使い見て、「おしえて!」と言っているところ。
sayonararoaiほんと、いい人です!


「モンダイナイ~」

が口癖の、英語ペラペラで、とっても親切な、楽しい、ヨルダン人。

でも、ホテル、変わるっていってたなあ・・・

mansuheya部屋1泊12ヨルダンディナール(約1600円)
mansuribiみんなが集うリビング
mansuminnaみんなで記念写真
mansunoto情報ノートあり!ペトラへ庶民バスでいくルートも書かれてる!有難い!



  
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インド ウツ病ショック療法?記 (15)「一体、列車はいつ来るんだ!?」
本には書かなかった世界一周ウラ話(85)♪~テーマ別~
   インド ウツ病ショック療法?記 (15)「一体、列車はいつ来るんだ!?」
     


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、
人生を変えた旅全9話、など)を、つづっています。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  カテゴリー別に入れています)

で、今は、ウツ病を克服しよう?とインドに行ったときの話。


私がウツでたくさんの薬にお世話になっていたのは、2003年6月から
2005年3月。

その真っ只中の2004年1月、インドに行ってるんですよ。変わっている
でしょ(笑)?。

もちろん、子連れ。当時長男は小2、次男は年長さん。

ウツで苦しみながら、抗ウツ剤その他を飲みながらも、カルチャーショック
で、ウツを吹き飛ばしたいと?旅したインド・・。という背景。



というわけで、

第一話「真夜中のインド到着」

第二話「ゴミ山の前の安宿”ホワイトパレス”からサダルの安宿”
                         マリアハウス”へ」
第三話「ドミですっごい偶然!」

第四話「子連れはボランティアお断り!?」

第五話「障害児の施設 ダヤダン」

第六話「ダヤダンの子供たちに寄り添いながら・・・」

第七話「友人フロスカムをどうやって探す?」

第八話「バラナシ”歯赤”客引きとの闘い?」

第九話、「プジャゲストハウスは一体どこ?」

第十話、「急激に、やる気ダウン・・・」

第11話「行動すれば次の現実・・」

第12話「フロスカムとの奇跡の再会」

第13話「インド鉄道、5時間遅れは序の口」

第14話は「うんこ踏むなよっ!」

そして今回第15話は、「一体、列車はいつ来るんだ!?」




 遅れることで有名な?インド国鉄の復路の話。

最初、6時間遅れの22時40分発だと・・。

えええええーっ、6ジカン!

まあ、しかし、インドだからとあきらめてながら・・・次の展開。

「一体、列車はいつ来るんだ! 」

 さて、ボー然としている私に、駅に見送りに来てくれた再会をはたした
12年前の友人フロスカムが、
「6時間も遅れてるんだねー」と。

そして、
「あそこにツーリストオフィスがあるから、相談したらいいよ」と教えてくれ
ました。

 そう言われて、ツーリストオフィスのおじさんに切符を見せると、

「この列車は、22時40分発になった。コルカタ行きは他に18時すぎに出る
のがあることはあるが満席だ。一応、向こうの13番窓口に行って聞いてみると
いい」と。

 で、13番窓口に行くと、インド人がいっぱい並んでるー。

おそらく、私と同じ立場の人。一応並んでみたものの、長蛇の列は一向に前に進
まず、いつになったら窓口の人と話せるかわからない。駅構内は待ち人であふれ、
そこらへんじゅうの地べたは、座り込み人にどんどん占領されていくます。他の
列車も遅れているようです。


 こうして順番を待ちに待って、窓口と話せたにしても、寝台があいてる可能性
は、ツーリストオフィスのおじさんが言ってたように、少ないわけです。

私ひとりなら、どこに座っても耐えられる?と思うけど、子供達はそーはいきません。
なんていっても、小2と年長さんですから・・・
 
 私は深呼吸して、考えました。

今ここで、取れる可能性が少ない座席のために並ぶより、22時40分に乗るために
備えて、子供達を休ませた方がいいのではないかと。

 そして、待とう、私は決めました。

 2人子連れ旅の一番大変なことは、2人そろって眠たくなって動かなく?なられ
ること。

特に今日は、朝からフロスカム探しして、会えて盛り上がって?、フロスカムの子
供達といっぱい遊んだ後で、おそらく夜9時まではもたないと思ったわけです。


 じゃあ、どうするか・・。
 今、とにかく、寝せよう!
 どこで?

 たくさんのインド人と同じよーに、そこらへんの地べたで寝袋ひいて寝せるこ
とも考えましたが、それだと寒くて眠れないだろうから、駅の中にあるリタ
イアリングルームと呼ばれる簡易宿泊所に行ってみることにしました。

 ドミトリー 2ベッド100ルピー(240円)。

 入ってみると、誰も客はおらず、静かで、かなり清潔でした。多少人の出入り
があって、うるさいこともありましたが、夜7時、子供達はやっと就寝。

 よし、よし、3時間寝れば大丈夫!と一安心。
 で、ここまではよかったのですが・・。

 その7時すぎのこと、

出発時刻やホーム番号が印された電光掲示板の灯が・・・ブチッと消えちゃったん
です。

ツーリストオフィスも閉まってしまい、掲示板は消えたまま。

唯一の出発情報なのに・・。

ちょっとした停電かな・・。と、ちょこちょこ見に行くけれど、全くつかぬまま。
 
 すると、掲示板の横に小さな黒板が出ていて、そこに人がわんさと集まってい
ました。

行ってみると、列車の遅れ状況が書かれているもよう。

小さな黒板にびっしり書き込まれています。

こんなにたくさんの列車が遅れてるんだーと思いながら、自分の列車を探しました。

文字はビンズー語なので読めないけど、番号からすると、これかな?と思う列車に
は、6と2分の1という数字。6時間半という意味なんでしょう。

ということは、さらに30分遅れています。

 
 しばらく経って、また見ると、さらに遅れたらしく、7と2分の1。

うーん、
これじゃ、24時10分、日がかわってしまうことになります。

それに、日没後ぐんぐん寒くなってきています。

バラナシはコルカタより寒く、寝起きに風邪ひきそうですよねー。

あーあ、それにしても、列車は何時に来るのやら・・・。

まあ、子どもたちは寝せているから、よしとしなきゃね・・・

それにしても、ヒマ・・・

(まだまだ遅れますよ、ははは)

(まだまだインドはつづく)



近況:授賞式で・・子どもたち寝てしまった!!!!
近況:授賞式で・・子どもたち寝てしまった!!!!

すみません、メルマガ発行、先週、とんでしまいました・・・。

授賞式のスピーチの準備に、時間かかっちゃいまして・・。すみません。


で、週末、24,25日で、子どもたち2人連れて、地方出版文化奨励賞の
授賞式、米子まで行ってきました!

<受賞式のチラシ>
http://www.bookin-tottori.co.jp/2009.pdf

<賞の概要&受賞理由>
http://www.bookin-tottori.co.jp/16.html

<地元西日本新聞にも掲載していただきました!>
http://kumemuga.blog60.fc2.com/blog-category-40.html


<賞を下さった”ブックインとっとり”を主催する今井書店グループ本の学校
が、菊池寛賞受賞されました!>
http://www.bunshun.co.jp/award/kikuchi/index.htm


で、一生懸命、スピーチを考えたし、スライドつくって、練習もしたし、
バッチリ!で行ったのですが・・・・

なんと、本番・・・

まず、いろんな方からの祝辞があって、次に、功労賞&特別賞受賞の
「医者、用水路を拓く-アフガンの大地から世界の虚構に挑む 」のスピーチが
あって、その最中・・・・

なんと、子どもたちが寝ていたんです!!

それも、座って下を向いてというならまだましですが、机につっぷして・・・

私たちは、みなさんの対面した、まん前に並んでいるのです。

要するに、みなさんの目の前で、デーーンと寝ているワケです。




さーーーっと、全身から、血がぬけていく気がしました・・。

うおおおおー

ゲロゲロ・・・

うっそー

あっちゃー



あのとき、顔面そう白!真っ青!・・・そして、かーーーっと(恥ずかしくて)
舞い上がっていく自分が、おりました。

(もちろん、起こして、叱咤激励、がんばろうと!言ったのですが、しばらくする
とまた睡魔が・・・

まあ、お昼ゴハン食べたすぐあとで、しかも、前日、寝るのが遅くなったこと
もあるけど、まあ、緊張感がないというか・・・ああ、申し訳ない・・・)


今回の、私のスピーチは、時々する講演とは違って、子どもたちを主体とした
ものにしていたので、

ああ、これじゃ・・・何を話しても、こんな姿で寝る子どもなんだと、思うだろ
うな~(これが現実ではあるけど)

と思ってしまい、

スピーチは、なにか、宙に浮いたもの、となってしまいました。

ああ、本当に、すみません。

というわけで、この授賞式での失態で、私は、めちゃめちゃ、疲労&脱力感の
中に落ちていきました。(もちろん帰りの列車と翌日にかけて、ですが)


やはり、子連れというものは、何をするにも、修行ですね~

それにしても、米子の方々、みなさん、とてもあったかで、親切で、よくしてい
ただきました。

米子の町もとってもいいところでしたよ。

ゲゲゲのきたろうロードにも行きましたよ!


受賞式は、何社もの新聞社の方やNHKの方もこられていて、翌日の新聞などに
掲載していただきました!本当に、ありがたいです。感謝です。



感謝!西日本新聞
西日本新聞に載せていただきました!感謝!
jyushounishi
クリックすると大きくなります!

2009年夏♪ヨルダン報告(5)子ども脳と絶景inペトラ
2009年夏♪ヨルダン報告(5)子ども脳と絶景inペトラ


さて、前回は、アンマンにつくまでの長い道のり、の話を書きましたが、この
ヨルダン旅は、日記形式ではなく、事柄別に分けて、難民支援、ペトラ、死海、
アンマン、安宿コーダホテル、ラマダン・・・、

という感じで、つづっていこうと思います。
(1)ヨルダンへの長い道のり
(2)と(3)は、私が一番感動した、この難民支援の現場。↓

  (社団法人 日本国際民間協力会NICCO
   http://www.kyoto-nicco.org/project/jordan/cat64/post.html)
(4)灼熱のペトラ、の攻略?法

で今回は、(5)子どもと絶景inペトラ

   ※絶景写真は、ブログで見てね~! http://kumemuga.blog60.fc2.com/


さて、ペトラ。

とにかく広いために、何人もの人から、どう行けばいいかとアドバイスもらい、
私なりに覚悟を決めていました。

というのは、やはり、私は体力的に不安が多く・・・

一番、ドンくさい、からです。

灼熱の中、干からびそうな中、早く歩いて4時間ですからね~

はっきり言って、かなり、ぶったおれそうです。

でも、大人って、絶景に出会うためには、がんばれるものなんですね(笑)

がんばるから、苦しむからこそ絶景~!!なんですよね~



それに対して、子どもは・・・・

そんなまどろっこしいのは、オキライです(笑)

実に、もったいない!(笑)

次男は、いつも、ドラエモンの「どこでもドア」があったらいいのに~と
つぶやいているし。

私にすれば、「どこでもドア」があっても、いきなり、苦労せずにたどり
つけても、面白くないじゃん、と思うけど。



というわけで、攻略法?通り、朝一番から、ペトラ入場。歩け、歩け!

しかし・・・・予想通り、朝も8時になると、ガンガンに暑い・・。

異様なほど、のどが渇く・・・

持参した水はすぐになくなり、高い水(遺跡内の売店の水は、10倍以上
する)を買いながら、

まだぁ・・・

まだぁ・・・

と子どもたち。

お母さん、アイスクリーム!

お母さん、冷たいコーラ!

を連発。

甘ったるいアイス食べたら、余計のど乾くじゃん

コーラだって、甘いからのど渇くだけだよ・・

と思うが・・・。

こんなとき、お説教する力も、もったいないと思ったりして、2つに1つは
カット!。

さあ、がんばろう!

絶景が待っているよ!

しかし、子どもたちから出る言葉は、もう限界~・・・休もう!

休めば、立ち止まれば・・・、ハエがブイブイたかってくる・・。

なんで、ハエ?

動いてないと、ハエがたくさんとまろうとするんです。

特に、次男の頭・・

のびた坊主頭の汗が目当て?

せっかく持ってきた帽子、忘れてきてるし・・・

なんと、ハエも、水分を目当てに、人の汗によってくるんですかね。

だって、近くに、馬やロバのうんこがあるのに、人によってくるん
ですから。



この状況で、大人の脳みそは、このあとに確実に来る絶景との出会いを
思い浮かべながら・・・がんばるけど、

子どもたちの脳みそは、今、このしんどさだけを、感じるみたいですね(笑)

子どもって、今、ここ、を生きているんですね~

そう、今、ここ、の世界。


何度も、何度も、こういうことが今までにありました。

でも、小6と中2。

大きくなったから、ちょっとは違うかな?

という期待していましたが、やっぱ、まーだ、子どもですね(笑)


というわけで、かなり、ギリギリいっぱいいっぱいの体力気力で、目指す
絶景の”エド・ウィル”にたどり着きました。

その、”エド・ウィル”を上から見下ろすための丘に登って、さらなる絶景
に遭遇・・

ああ、夢に見た、ここ!

ああ・・・やっと、たどり着きました~!

と感動しているところに、子どもたちが・・・・

お母さん、ハエ、ハエ~

どうにかしてええええ

もーかえろー

ロバに乗りたいよ~  と。


ハア・・・

ロマンにひたる私の脳みそを、現実に戻す、声・・・(笑)

子どもと絶景とは、こんなもんです(笑)


私の友達に、結婚する前にそれぞれがひとり世界一周をしたことのある
ご夫婦がいるのですが、

そのご夫婦が、子どもが小学生低学年のころ、ハワイに連れて行かれたん
ですね。

しかし、帰ってきて感想が、

「めっちゃタイヘンやったーーーもう子連れでは行かん!」

「子どもにとっては、ハワイもそこらへんの公園も同じなんやと痛感した」

と言っておられました。

実は、本当のところ、そうなのかも、しれません(笑)。

特に、小さいときは、子ども本人も記憶がなくなるし。

ある程度、大きくなっても、我が家のこのペトラ体験でわかるように・・


でもですね・・・・

私は、子どもとの旅は、実は、子どものため、ではなくて、そう、自分の
ため、なんだと、私は思っているんです。

子どもが一緒に行ってくれる事で、今までと違って、調べるし、考えるし、
工夫します。

自分自身が、その旅を通して学ぶ、ひとり旅では学べないことも、子ども
と行くことによって、様々なことを、学んでいる、のだと・・。

子どもたちのわがままや、子ども脳みその違いを痛感するのも、学び。

そして、その中で、ああでもない、こうでもないと、智恵を絞りに絞るのも
学び。



そして、いつか、子どもたちが大人脳みそになったとき、

お母さん、よく、小さい僕たちを連れて行ったよね~

たいへんやなかった?

とかなんか言われて・・・

そんなことないよ~ たーーくさん学んだから、



なーーーんて、言いたいですね。



(ヨルダン旅行記はつづく)



インド ウツ病ショック療法?記 (14)「うんこ踏むなよっ!」
本には書かなかった世界一周ウラ話(84)♪~テーマ別~
   インド ウツ病ショック療法?記 (14)「うんこ踏むなよっ!」
     


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、
人生を変えた旅全9話、など)を、つづっています。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
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で、今は、ウツ病を克服しよう?とインドに行ったときの話。


私がウツでたくさんの薬にお世話になっていたのは、2003年6月から
2005年3月。

その真っ只中の2004年1月、インドに行ってるんですよ。変わっている
でしょ(笑)?。

もちろん、子連れ。当時長男は小2、次男は年長さん。

ウツで苦しみながら、抗ウツ剤その他を飲みながらも、カルチャーショック
で、ウツを吹き飛ばしたいと?旅したインド・・。という背景。



というわけで、

第一話「真夜中のインド到着」

第二話「ゴミ山の前の安宿”ホワイトパレス”からサダルの安宿”
                         マリアハウス”へ」
第三話「ドミですっごい偶然!」

第四話「子連れはボランティアお断り!?」

第五話「障害児の施設 ダヤダン」

第六話「ダヤダンの子供たちに寄り添いながら・・・」

第七話「友人フロスカムをどうやって探す?」

第八話「バラナシ”歯赤”客引きとの闘い?」

第九話、「プジャゲストハウスは一体どこ?」

第十話、「急激に、やる気ダウン・・・」

第11話「行動すれば次の現実・・」

第12話「フロスカムとの奇跡の再会」

第13話「インド鉄道、5時間遅れは序の口」

そして、第14話は「うんこ踏むなよっ!」


 というわけで、遅れることで有名な?インド国鉄がらみの話。

行きのコルカターバラナシ間は、定刻出発の、到着5時間半遅れしたと言えども、

いい人との出会い、遅れても座れる座席があるから、ほんと、よかった。


しかし、バラナシからの帰りは、もーサイアクだったんです。


さて、前々回書きましたが、フロスカムと12年ぶり再会を果たし、フロスカム
家で結構時間ギリギリまでゆっくりしていたので、安宿に預けていた荷物をとり
にいって、駅に行くのは、かなり時間がなくなっていました。

 
 もちろんフロスカムがオートリキシャ(バイクのリキシャ)で送ってくれたわ
けですが、安宿があるところまで行けなくて、

途中からサイクルリキシャに乗り換え、で、ここらへんだと降ろされたところが、
さっぱり分からない場所。
 
 げー。ここはどこだー!!


一挙に焦ってきました・・。


でも、確実に列車の時間は迫っているので、そこいらへんの店の人に聞いて、走
って聞いて、また走って、ようやく、見覚えのあるところにきました。

「おかーさん、ここやん!見たことある!」と長男。

「さあ、ここから、ホテルまで急ぐよ!

ホテルで荷物とって、またここまで走って、リキシャに乗ろう!

時間がないから、走ってがんばろ! しっかりついてくるんよ!

”うんこ”は、踏まんでね!!」


チョークと呼ばれる旧市街は、道が狭く、その道を、ヒンズー教の神様である、
牛さんたちが、悠々と歩き、悠々とうんこを落としてゆくのです。

さらに、ゴミがいっぱいで、その牛や犬が、ゴミをあさります。

同じ道を、たくさんの人も行き交い、・・・

とにかく、走りにくい、わけ。

しかし、私たちには時間がない。ひたすら、ドタドタ、ピョンピョンと走り
続けました。

「うんこ、踏まんで~!」と掛け声かけながら。



無事、荷物を持って、また走って、さっきのところに出て、サイクルリキシャと
駅までの金額を交渉。

「おれのに乗れ、おれのに・・」ともまれながら、

ひとり、「駅まで20分でいくよ」という、骨太の男のリキシャに乗ることに。

急げ!急げ!


とは言っても、道は、あふれんばかりのサイクルリキシャや障害物が多く、なか
なかまっすぐ急げないんですね。

それでも骨太男は、ずっとたち漕ぎで、がんばってくれました。


 で、駅に到着。走って駅構内へ・・。間に合ったー!



 と思ったら、ガーン。

電光掲示板に印されていたのは、私たちが乗るはずの列車が、

6時間遅れの22時40分発だと・・。

えええええーっ、6ジカン!

(まだまだこれも序の口・・・)



(まだまだインドはつづく)


近況:ガン記念日
近況:ガン記念日

2回目のガン記念日がやってきました。

2年前の10月11日、私がガン摘出手術を受けた日。

そして、今中2の長男が、2年前は小6年で、参観日のあとの懇談会で、
修学旅行の説明があって、修学旅行があって、そして、中学校入学の説
明会があって・・・

今、次男が、その小6。

あのころのことを、同じ行事を、今、反復しています。

正確にいうと・・・本当は、あまり、覚えていないんです。心、ここに、あらず、
だったんでしょうね。

修学旅行が、ガンの前だったのか、入院中だったのかも、記憶なくて、
自分でびっくりしました。

(ガン入院の前でした)

明日から、次男は、待ちに待った修学旅行です。



韓国版ができました~!
韓国版ができました~~!
kankokuhon
「それゆけ小学生!ボクたちの世界一周」韓国版  本の表紙
kannaka
中身はこんな感じ。

韓国の本屋さんにも並ぶと思うと・・・かーんげき!です。

ちょっとイメージが変わってますね!韓国でも売れたらいいなあ


フォト♪灼熱のペトラ
フォト特集♪灼熱のペトラ・・・(話はこの前後にあります)

     ※写真をクリックすると大きくなります!

1peここから始まるペトラ

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2009年夏♪ヨルダン報告(4)灼熱のペトラ、の攻略?法
2009年夏♪ヨルダン報告(4)灼熱のペトラ、の攻略?法


さて、前回は、アンマンにつくまでの長い道のり、の話を書きましたが、この
ヨルダン旅は、日記形式ではなく、事柄別に分けて、難民支援、ペトラ、死海、
アンマン、安宿コーダホテル、ラマダン・・・、

という感じで、つづっていこうと思います。
(1)ヨルダンへの長い道のり
(2)と(3)は、私が一番感動した、この難民支援の現場。↓

  (社団法人 日本国際民間協力会NICCO
   http://www.kyoto-nicco.org/project/jordan/cat64/post.html)

で今回は、(4)灼熱のペトラ、の攻略?法

絶景写真は、ブログで見てね~! http://kumemuga.blog60.fc2.com/


さて、ペトラ。

といっても、それ何?ですよね・・・

一番分かりやすいのが、あの有名な映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」
の舞台になった!ところ。

そう、インディ・ジョーンズが馬でシークと呼ばれる狭い岩の裂け目を走りぬけ

いくと、突然、その裂け目から、すっごい遺跡・・・”エド・ハズネ”という、

ペトラ遺跡群のひとつがじゃーーーーん!と見えてくるシーン。


実は、昔から、なんか、ここだけは、妙に、脳裏に残っているシーンでしたね~

私は映画は特に見るほうではなく、特に、もう、お母さんになってからは、
そんな余裕なかったので、すっかり、うといワケですが、このインディ・ジョー
ンズ・シリーズは、好きですね。

そう、今、やはり、長男が時々アニメ以外の映画を見たいという時があって、

(次男はまだアニメだけ)、見に行くんですが、

去年公開された「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」は見に
行きましたよ~


さてペトラが出てくる「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」と、子どもた
ちとの出会いは、なんと、2006~07までの家族世界一周の時。

まあ、ある意味、旅の最中は、ヒマ(?)ですからね~

というか、旅しているときは、長男いわく「時間がゆっくり流れてる」。

で、パソコン持って行っていたので、まあ、見た見た、ありとあらゆる映画を!

そう、だいたい100円ぐらいで買えるよーなばったもんDVDで・・。

その中のひとつがそれだったんです。

それから、ペトラがあるヨルダンは私たちの行きたいところになっていました。


その、憧れのペトラ。

ヨルダン国内で最初に世界遺産に登録されたもので、巨大!!!な遺跡群。

2000年以上も前から、アラビア半島からやってきた遊牧民ナバタイ族や、
ベトウィンによって栄えた都市なんです。

有名なエド・ハズネは、紀元前1世紀~後2世紀のもの!

そのほかにも、ローマ円形劇場、王家の墓など、たーーくさんの遺跡があっ
て、とにかく、ひろーーーいそう・・。

(ヨルダンという国には1万年も前の住居跡やギリシャ、ローマ、ウマイヤ朝、
十字軍などの各時代の遺跡が残る国)

だから、めちゃめちゃ歩くことになるんです。さっさと行って約4時間!

しかも、夏はもちろん、干からびそうに、暑い、熱い・・

肌がチリチリ・・・人の汗にたかる?ハエぶんぶん・・・



とにかく、しんどい、暑い・・・と宿で出会った”若い”旅人たちに、聞いて
いて、若くない・・体力がない・・私は、本当に、不安でした。

だから、アドバイスをもらいました。

朝一番に入場して、とにかく、最初は写真をパチパチとったりせずに、寄
り道せずに、ひたすら歩いて、一番奥の、すごい絶景の、エド・ディルを
目指す!

そのエドディルの正面の丘を登って、丘の上から、エドディルをながめ
(これが一番の絶景)

映画に出てくるエドハズネは、30分歩いたところにあるし、回りには
たくさん、いろんな遺跡があって、見たいけど・・・それらを行きで見て
いたら、どんどん体力が奪われて、行き着かないので、

まずは、一番の絶景を目指せ!というわけ。


そして、帰り道は、ゆっくり、写真をとり、寄り道をしながら、戻るのが
いいと・・。


とは言っても、きっと、行きから、いろんなものに目を奪われ写真がとり
たくなるだろうと・・・

ペトラに2泊することにし、ペトラの町に着いた午後、夕方から、
一番有名なエド・ハズネへ。

夜にも、ナイトショーで、また、エド・ハズネへ。

いやー、夕方は夕方の良さ、日没時は日没時の良さ、夜は夜の良さ~♪

エド・ハズネは、微妙な光の違いによって色が変化するんです~!



そして、準備万端(?)

翌朝1番に入場して、目指すはエドディル!
さあ、どうなりますか!



実は、翌日、私は、”あることを存分に思い知る!”ことになりますよ~
さて、なんでしょう?




(つづく)


インド ウツ病ショック療法?記 (13)「インド鉄道、5時間遅れは序の口」
本には書かなかった世界一周ウラ話(83)♪~テーマ別~
   インド ウツ病ショック療法?記 (13)「インド鉄道、5時間遅れは序の口」
     


本には書かなかったウラ話も、国別→宿→といきましたんで、今度は思いつ
いたテーマ別(水、トイレ、病気、ビザ取得舞台裏、発展途上国のススメ、
人生を変えた旅全9話、など)を、つづっています。

(※全部ブログ http://kumemuga.blog60.fc2.com/に
  カテゴリー別に入れています)

で、今は、ウツ病を克服しよう?とインドに行ったときの話。


私がウツでたくさんの薬にお世話になっていたのは、2003年6月から
2005年3月。

その真っ只中の2004年1月、インドに行ってるんですよ。変わっている
でしょ(笑)?。

もちろん、子連れ。当時長男は小2、次男は年長さん。

ウツで苦しみながら、抗ウツ剤その他を飲みながらも、カルチャーショック
で、ウツを吹き飛ばしたいと?旅したインド・・。という背景。



というわけで、

第一話「真夜中のインド到着」

第二話「ゴミ山の前の安宿”ホワイトパレス”からサダルの安宿”
                         マリアハウス”へ」
第三話「ドミですっごい偶然!」

第四話「子連れはボランティアお断り!?」

第五話「障害児の施設 ダヤダン」

第六話「ダヤダンの子供たちに寄り添いながら・・・」

第七話「友人フロスカムをどうやって探す?」

第八話「バラナシ”歯赤”客引きとの闘い?」

第九話、「プジャゲストハウスは一体どこ?」

第十話、「急激に、やる気ダウン・・・」

第11話「行動すれば次の現実・・」

第12話「フロスカムとの奇跡の再会」

そして、第13話「インド鉄道、5時間遅れは序の口」


 今回は鉄道の話。

インド鉄道は・・・まあ、遅れる話は、有名。

でも、ちゃんと、来る!から不思議、とも言われている・・・。



話は、フロスカムに会う前で、彼に会うために乗ったコルカターバラナシ間。


夜8時ぐらい出発して、翌日の午前10時ぐらいに着くようなパターン、2等
夜行列車です。


このコルカターバラナシ間の列車はガイドブックによると非常に評判が悪く?、

(観光客も多い人気の路線なんで)

特に、2等寝台で熟睡するのはキケンだとか・・・


首になにかを塗り付けられて(痛いらしい)、その間に荷物を盗まれただとか・・・

ちゃんと起きていたにもかかわらず、あっという間に荷物がなくなっていたとか・・・

ジュースやあめとか貰ったりしても、口にするな(睡眠薬がはいってる)だとか・・・

いろいろ被害情報がありあり~。


こういうのを読んでしまうと、なんとなく、精神的には緊張しますねー。


さて、行きは始発駅なので、ほぼ定刻夜8時半出発。

”2等寝台”というのはどういう感じかというと・・・

まあ、まさに荷物置きに近いネダナ(寝棚)。

寝返りがうてないほど、チョーせまっ!なんですね。

(多くのインド人は、体が小さいので、こうなっている?)


1つのコンパートメントは6人用で、夜だけ、3段ベッドにするというもの。

この2等寝棚の狭さは12年前にも経験済みなので、ベッドは子供にも1つずつ
確保しました。


今回、このコンパートメントに縁あって同室になったのは、インド人おじさん
がた3人。


子供達は9時には寝るんで、座席指定通り、次男を下段に、長男を上段に寝かせ
ましたところ・・・

私はおじさんたちとちょこちょこ話していると、長男が上段からおっちゃげてき
ました。

それを機敏にキャッチしてくれたのは、ブレザーを来た微笑みのおじさん、

ナイスキャッチ!ありがとー!

 
話は脱線しますが、インドの人って、一見、おこってるような顔しているんで
すね。

本当はおこっているわけでもなんでもなく、それがふつーの顔なんですが、この
コンパートメントのおじさんはみんないい笑顔していて、珍しい?。

(そうたまたま。かなりラッキーであった・・あとで思い知ります)

 
で、体が小さい子供でも、寝返りうつと、落ちてしまう現実に直面し、困ったな
あ・・と思っていると、そのおじさんは、

「あぶないから、下段と変わってあげよう」

と言ってくれました。ありがたい!


おじさんたちは、バナナやナッツを、車内の物売りから買っては、私達に
くれたり、荷物は通路側に置くとあぶない(盗られる)から、窓側に置くんだ
よ、と教えてくれたり・・、なごやかに旅は進んで行きました。


 さて、中段のベッドをつりさげて、大人もおやすみーなわけですが、窓が完
全に閉まらず、ひえーというぐらい寒いんです。

子供達には寝袋があるわけですが、私には薄い毛布1枚しかなく、とても眠ってら
れない・・。

ついには、日本に帰国した時(日本は真冬))に持っていたホカロンを何枚も貼る
はめに。

それでもまだ寒々。

ウトウト、ブルッ!、ウトウト、ブルッ!の繰り返しでありました。

インドというと暑いイメージがありますが、1月はこんななんです・・。


 
 というわけでほとんど眠れなかったわけですが、普通、まあ、ひどいわね~と
思うでしょ。でも、インドでは、体を横たえることができるってことだけでも、
よかった!!と感じれるんです。

(だからインドを旅すると、いいんですよ~)


なぜなら、席もなく、乗降口の近くやトイレ近くの狭ーい地べたに座っている人
も多いのですから。

さて、朝になって明るくなると、中段のベッドをたたんで、向かい合わせの座席に
戻します。

ある意味、中段を戻してもらわないと、みんな座れない。
 

車内は、駅に着くたび、物売りさんたちが、じゃんじゃん乗り込んできて、大きな
声でいろんなものを売りに来てくれます。

これがほんと、インドらしい光景。

これ好きですね~。

寝ている時にも来るから、それはうるさいけど(笑)ね。

チャイ、ナッツ、ゆで卵、バナナ、サモサ、オムレツ(のようなもの)、靴下やお
もちゃまでなんでもあり!

ゆで卵なんて、丁寧に?殻までむいてくれますよ~。

 で、当然ながら、バナナの皮やら、チャイのカップやら、包んだ新聞紙やらゴ
ミが発生するわけですが・・・

それをどうするか!?  

そこはインド式、そこらへんに捨てるわけ。

これが子供達には大ウケで・・・、

バナナの皮を窓からポイするおじさんを見て、いいとー?と私の顔を見る、

よかよ、と言うと、

まあ、うれしそーに、窓からポイ!

(でも、日本ではダメよ・・)

(ちなみに、インド社会では、この線路脇のゴミを、掃除する職業の人が存在する
ので、彼らの仕事をなくしてしまってはいけないのです。カースト制度のことが
あり、その仕事にしか就けない人もいるという現実があると聞いたので)

(一応、多少、気を配る人は、バナナの皮など自然ゴミは外へポイ。チャイを飲ん
だカップや、ビニールは、列車内の足元へ・・・・)



 で、ゴミだらけの足元を、時々、少年が掃除にきてくれます。

(掃除といっても、結局、線路にポイしてるのを目撃しましたが・・)

彼等はまあ勝手にそうやって、しっかり、チップを稼いでいるわけです。


 さて、この列車、午前10時到着のはずでしたが、待てども待てども着きませ
ん。

バラナシ到着は、結局5時間半遅れ。

しかし、このくらいの遅れは、序の口だったのです。

そう、帰りは、さらに、すごいことに・・・・なりますよ~


(まだまだインドはつづく)





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